





古代文字(甲骨文字)「米」。
稲や穀物をあらわす禾(か)に穀実がついている象形で、一の上下それぞれに3小点を付けています。
殷代・周代のころ、中国の華北あたりではまだ稲作は始まっていなかったそうですが、華南地方で既に水稲栽培が始まっていました。
白川静先生によれば、江漢域の“屈家嶺”(くつかれい)という古文化でおこなわれていた水稲栽培の米種は、日本種と同じであることが確かめられています。
当時の生産手段は農耕を主とするもので、古代文字には、米や粟、麦といった穀物の文字がいくつも残っています。また、農業は自然に左右されますから、古代人たちはいつも長雨や旱魃(かんばつ)を心配し、神に豊作を祈っていましたから、農耕儀礼にまつわる古代文字もたくさんあります。
また、豊かな実りを得られるかどうかは神の領域でしたから、鋤(すき)などの農具も、神聖なものとして祭儀に用いられていました。
食べることは生きることであった古代人を思い起こすと、驚くほどこの世界が豊かになっていることに気がつきます。
一方で、食べることに困らなくなった私たちがお米の一粒一粒の大きな価値を味わうことは、簡単なことではな苦なった気がします。
秋の新米の季節、一粒に込められた自然の恵みを大切に味わいたいものです。
(情報源:白川静著『字統』・『甲骨文の世界』)
伊勢・猿田彦神社の御神田
豆ごはん(母が送ってくれた手作りのお惣菜)