Blog「星の光」

(2025年3月27日)

No.100 古代文字「望」眼力で!?実現する望み✨

甲骨文字「望」

大きな目をあげて、先方を仰ぎみる人の形で、もと象形。
人が足をそばだてて遠く望む形の象形字。「望」はそれに声符として「亡」を加えた形声字。
『説文解字』には、甲骨文字、卜文の字形に「月」を加えて十五夜の望の意を示した会意字とされていたこと、遠く望むことによってその妖祥を察し、またその眼の呪力によって敵に圧服を加える呪儀を望むというと解かれていることなども、『字統』では紹介されています。

このところ、鼻息で笑ったりアレルギー対策学んだりして、「鼻」のことから感覚器のこと思い浮かべたりしていました。
それで、昨日は感覚器を示す文字をパーツに持つ文字、「耳」を含む「聖」を調べてみました。耳を澄まして神の声をきく文字。人の上に大きな耳の象形を乗せた字形でした。昨日も書きましたが、こういう文字は、構造上、特殊な機能や行為を強調するために、その部分を人の上部に出す造字法に分類されるらしく、他に「望」や「光」などもそのような文字。
なるほど、「光」は人が炎を掲げている形で、「望」も確かに、人が立って「目」で先を見据えて眼力が届くことを示している文字。

おかげさまで今日はBlog100回目。
いろいろ書いた中では、お伊勢参りBlogと本の紹介とか発達障害人用の吉濱メソッド関係が特に楽しかったです。
それとピーポくん記事が私らしくて気に入ってます。

またこれからの100回
今までと同様のトピックに加えて、Blogでもうちょっと短歌、発達障害人の凸凹歌も作ってみようかなと思っています。

短歌は自由で、道具も場所もお金も要らない。
プロセスそのものが自他ともにハッピーになるポテンシャルを持っていて、かかわり方によっては経年が価値にもなる。

さすがに、君が代のさざれ石の歌に出会った時は、私の短歌はまるでお客様にインスタントラーメン出してるようなものだと気づいて、申し訳ないような、穴があったら入りたい恥ずかしい気持ちになりました。
でも、言葉を綴るのはやっぱり好きなことのような気がするので、穴から這い出て懲りずにちょこっとづつ詠んでます。
そのうち「出前一丁」か「サッポロ一番」くらいに。
いつかは豚骨ジロー級の短歌詠めるようになりたいです。

これからのBlog100回の新しい抱負でした👏

早速、インスタントラーメン🍥Hoshi no Hikari のBlog初公開の歌。

「手のひらに一粒の真珠 包み込み 母貝の海の記憶を聴く」

「新しき窓から見ゆる幸パラレル 心が遊びに行く春の空」

「学生のように図書と歩くメンスト『応用行動分析入門』」

「先生!と声かけられて 母のようになる春のキャンパス」

「くるくるココアに溶けてく「どこいくの?」君の笑顔と「美容院です」」

「繰り返し意味を調べて復唱 「十分キレイ」の十分の意味を」

「ときどき深く呼吸する  私だけが君のそばにいた時の酸素」

うふふ💓🐵💓✨💓🐲💓

Blogにも書きましたけど、
私の「望」は、先月も、大好きな猿田彦大神様はじめ伊勢の神様方にこそっとお話。
伊勢では「蘇民将来」として愛されているスサノオノミコトにも。
その後、とても幸せな出来事もあって、まだ3月だというのに、これだけでもう十分、今年はありがたい年だったと感謝しています。

そして、眼力、注意制御機能、メタ認知できっと実現する「望」✨

いろいろ思うところあって、副業についての考えも変わり、結局、告知せずじまいのBlogですが、書き始めると不思議なことに、目に見えない存在!?というか、私を見守ってくれている温かいまなざしと大きな安らぎを感じます。
エネルギーというのか…そんな守護神のような存在に、感謝のお花を飾ったり、お疲れ様でしたのお茶を淹れたりできることが日々のささやかな幸せ。
こんなことをビョーキと呼ぶのかもしれないですけど、そんなプロセスで、一日一文字、100枚の作品と100本の文章という形も生まれてありがたかったです。
見えない存在、伊勢の神々💓🐵💓と私の守護神💓🐲💓に感謝。

今日は赤い薔薇が入荷していなかったのでピンクのスプレー薔薇
花びらの裏側が白xピンクで可愛いです。

今日のおやつも色がダークですが。
ドライイチジクとビスケット(片側にチョコレート✨)
デカフェ。

お疲れ様でした。
今日もありがとう😘✨