Blog「星の光」

(2025年4月1日)

No.104 古代文字「親」

古代文字「親」

昨日、「新」の字源を調べた時、「親」とつながりの深い文字だとわかりました。
新木をとる時、木をえらぶのに矢を放ち、辛をうつなどする選木の儀礼があって、神に供すべきものを定めていて、「新」とは、新死者のための神位(→宗廟に祀るお位牌のこと)を作る意で、その神位を持って祭られるものを「親」という。
ということでしたが、
このタイミングで「親」を調べてみたら、確かに文字が似ています。

パソコンではフォントがないのですが、「親」の左半分にあたるのは、辛(はり)を打ってえらんだ木で、これを切るのは「新」これで神位を作って祭るものは親である。また、『説文解字』をもとに、神位を拝するを親といい、親の廟中でその儀礼を行う意である。のち自親(みずから)、親族の意となる。とも述べています。(『字統』より一部抜粋)

今朝出かけるとき、家の前のコンクリート塀から溢れる真っ白な椿が美しくて、急いでいたのですが思わず立ち止まってしばらく眺めました。多分、花弁がたくさんある「八重椿」。白は珍しく、花言葉は「完全なる美しさ」「申し分ない魅力」。本当にきれいです。

今日の文字、「親」と言えば、やっぱり両親。
父は胃がんの手術をしてから1年くらい療養生活をしていましたが、10年前の春に亡くなりました。
同じ年の秋には母が脳出血で倒れて3日後に亡くなりました。
母の思い出は、以前のBlogで伊賀の組紐のことと共に書いたことありますが、父のことほとんど書いてませんでした。
感謝していますけど、やっぱり後悔と、それからいろいろ言いたいことありすぎて…💢
もういいですけど。

立ち直るのに6、7年くらいかかりましたけど、父も母ももう宇宙で楽しくやっていると言うのに、地上で私一人が両親との過去を反芻してるなんてナンセンス。
それに、いろいろあっての今。白川先生の文字学や吉濱先生の世界の価値を享受させてもらえるようになったと思えば…特にこの2年間、いただいた豊かさを思えば、それ以前のあらゆるネガティブなことなんて全て帳消しです。

この前、 Y’s universeの動画コンテンツの一つ「ペットロス」からとてもありがたい学びができました。
ペットロスがなぜ生じるのか、そこから立ち直るにはどうすれば良いかというお話でした。
このコンテンツで見ながら学べたことは、悲しみと罪悪感の密接な関係です。ここを掴むのが要で、さすが吉濱先生という動画でした。
心優しい人は、してあげられたことより、できなかったことの方に注意が向きがちで、それは、ちょうどドーナツの輪っかの美味しい部分ではなくて、ぽっかり空いた穴ばっかり見てしまうような状態。注意がネガティブな方に向いているので、そこからはなんの意味も見出せません。そういう状態は、悲しみを返って増幅させてしまいます。
そこから立ち直るために、してあげられたことを超・具体的に書き出してみるという方法が有効らしいです。
さらに、もう一つの方法が紹介されていましたが、有料会員制ネットワークなので、ここでの紹介は控えておきます。

ペットとの関わりのコンテクストでの動画とはいえ、本質的な部分は、親との関わりでも同じだなと思いながら動画を視て、なぜ何年も何年も悲しみが続いていたのかがわかったような気がしました。

いずれにしても、悲しみとは別のことでも、およそ望ましくない感情を伴う様々な問題、なんであれ、いかに注意制御機能とメタ認知が重要か、あらためて実感したのでした。
凸凹だった父のこと、またいつかBlogで書くこともあるかもしれないですが、
とにかく、良いことに目を向けて✨

今日のお夜食✨とおやつ✨


鶏の胸肉とニンニク入り野菜スープ

ブルーベリー🫐凍ってる。
ヨーグルトとブルーベリーソースも一緒に。

おつかれさまでした。
今日もありがとう😘