





「反転の街を浮かべて 外濠の水面が待つ パラレルの夕べ」(Hoshi no Hikari)
お濠は河川のような流れもなく、静かな水面は街を鏡のように映し出してくれます。
おそらく最も美しく映えるのが、夕焼けの頃だと思います。
夕陽が完全に沈めば、水面に浮かぶ街も暗闇に消えて行きます。
それでもこの反転の街を眺めていると、日没後もきっと、どこか異次元の世界に存在していると思えるのです。
もしかしたら夕刻、人には見えなくなった頃に、もう一つの街への扉が静かに開くのではないかと…
水面が静寂を保てば一層、その時を、息を潜めて待っているのではないかと思えるのです。
恐らく、誰もがこのような感覚を覚えることが少なからずあるのではないでしょうか。
この感覚はいったいどこからくるのでしょうか。
近年、よく知られるようになった言葉に「パラレルワールド」という語があります。
物理学では、量子力学という分野が開拓されてきましたが、「パラレルワールド」の存在についても、物理学者らによって数十年も前から議論されています。
物理学の難解な話を、発達障害カウンセラーであり、在野の研究者でもある吉濱ツトム先生が、ご著書『アセンションパラレル』(ビオマガジン, 2021)の中で、とてもシンプルにわかりやすく説かれています。また、物理学のパラレルワールド論だけでなく、ご自身のご研究にもとづいた理解と、理想の人生を歩むための具体的な方法についても紹介されています。
『アセンションパラレル』によれば、「パラレルワールド」(多世界)という言葉は、今生きているこの世界の他にも、別の世界がある、あるいは、生きている現実以外に、別の現実があることをさしています。吉濱先生によれば、この世界は「幻想」あるいは「幻影」(ホログラフィー)。例えていうならこの世界の在り方は、暗闇で映写機がフィルムをまわしている古い映画館とつくりが同じということらしいです。
昔の映画館では、フィルムを通した光を投影することによって、スクリーンのなかにひとつの世界を映し出していました。
スクリーン側にある私たちが暮らすこの世界は、ちょうど映写機からスクリーンに映し出された映像・映画の中の世界と同じ。高次元から投影されたホログラフィー(幻影)。
高次元という「映写機」は、いってみれば、無数のフィルムライブラリーを持っていて、それぞれのフィルムは別の世界を描いた作品で、無限の世界が存在する。これがパラレルワールドなのだと説かれています。
また、物理学では、パラレルワールドの説明として「多世界解釈」と呼ばれるものがあるそうです。これは、いまあなたが住んでいる世界とは全く別の世界が存在するというもの。
生きるということは「選択」の連続。選択でパラレルワールドは枝分かれし、ありえた選択の数だけ、無数のあなたが存在し、それぞれのパラレルワールドを生きているということになります。
さらに、これらのあらゆるパラレルワールドはすでに存在し、理想の人生、「本当はこう生きたい」と願っている人生はすでに、ひとつのパラレルワールドという形で存在している。ゆえに、私たちは「本当の自分」として生きていけるパラレルワールドを「選択」さえすればいいのだと。
そのために私たちが開発していくことを期待される「注意制御機能」や「メタ認知」。かねがねこれは古代文字も活用できると思っていますが、また改めて、別途ブログ記事等で少しつづご紹介して行きたいと思います。
甲骨文字「夕」
夕の月、半月の象り。甲骨文字「夕」の中には、小さな縦の線を加えたものと加えていないものがあるようです。甲骨文字が掘られた卜辞に、「今夕とがなきか」と卜したものがあり、古代、夕は一種の危機的な時間と考えられていたようです。(文字についての情報源 白川静『字統』より)
夕が危機的というのはなんだかピンときません。ですが、昼間の人間の目には見えない深淵なパラレル世界が浮き彫りになる。そんな神秘的で少し怖くて、ワクワクする扉のようでもあります。
市ヶ谷駅前の外濠(2024年12月撮影)
吉濱ツトム著,『アセンションパラレル』,ビオマガジン, 2021