





古代文字「主」
象形文字で、灯火の火主の形。上の小さい点が火主、下部は”あぶら皿”の形。
字を神主、宗廟の主の字に用いるのは、古人(こじん)に火主を神聖なものとする観念があったから。中国の古い書物『礼記』(らいき)に、飲酒の際に主人が自ら火を執る礼を記している。主人・家長の意は、聖火を執るものの意から出たものであろう。(『字統』より)
今日5月31日は、「聖母マリアの訪問」という記念日。もう昔の話になりましたが、私の霊名はマリア。
5月はマリア月、5月最後の1日…と思ったら名残惜しくなってしまいました。
聖母マリアの象徴といわれるピンクのバラは、5月の誕生花でもあります。
昨日、紅いバラを飾ったばかりだけど、ピンクのバラ、ちょっと飾りたくなって、今日も小さなお花屋さんに行ってみました。
夕方店じまいの直前でしたが、お店のおじさんが丁寧に応対してくれました。スプレーローズは可愛くて、バラの中で特に人気があるけど、茎が枝分かれしていて水が上がりにくいので長持ちさせるのが難しく、店頭に長くは出ていないとか、フランスではバラを飾る時、葉を全て落として飾る人もいるんだとか…。バラのこといろいろ教えてくれました。
Blogのパラレル、非物質次元の気脈!?に贈るバラ、それから包んでくれて、お店のおじさんが、男性が女性に花束を贈る時のようなポーズ!!で、ハイッ!!と渡してくれました。
ところで、古代文字「主」、灯火の象形なんですね。
今まで気がつきませんでした。
このBlogでも既に書きましたが、火と言えば、原始古代の人々の生存を支えていたであろう貴重なもの。
暗闇を照らし、身を守り、食物を焼いたり、暖を取ったりしたはずです。火の光を見て不思議と心が落ち着くのは、太古の昔の安心の記憶が遺伝子に刻まれているからでしょうか。
東京で一人暮らしを始めたとき、ちょうどアロマキャンドルや、インテリアとしてのキャンドルが流行し始めたこともありましたが、一人暮らしをスタートして自然にろうそくに火を灯すことが増えました。
今でも、ご飯や何か物を食べる時、小さなカップろうそくに火を灯して食べています。
子供のころ、おやつを食べる時など、母は必ず私の正面に座って、私がモグモグ食べる姿を見てました。
母は、高台を使った組紐を組む(編む)内職をしていたのですが、おやつに限らず、私が何か物を口に運んで食べ始めると必ず、さっと高台から降りてきて、そばに座って見守ってくれていました。
大人になってから、母にこのことを話したら、特に母の記憶には残っていませんでした。そうだったかしら…!?と笑っていましたけど。もしかしたら、人が何かを口に入れるとき、それが安全なものかどうか、反射的に無意識のうちに気に掛かける原始の防衛本能だったのかもしれません。
温かい見守りのまなざしみたいなろうそくの光。
Y`s universe で、瞑想のときにも、ろうそくの炎を見つめると、心が落ち着いて瞑想しやすくなると教わりました。
人間にとって瞑想する状態とは、周囲の危険に対する注意力が低下した状態。原始の防衛本能上、瞑想は身を危険に晒すような行為と言えるので、人はそもそも瞑想ができない。それが当たり前なのに、多動性ADHDは一段と瞑想が苦手なもの。
そんな中で、ろうそく瞑想は自然に瞑想しやすい状態へと誘ってくれます。
キリスト教では、復活の象徴でもある光が祈りを天に届けてくれるといわれています。もうミサに行かなくなって久しいのですが、祈る時にもろうそくの火を見つめて、今日も愛と感謝の祈りでおやすみなさい😴
毎日、赤坂御用地の前の公園を横切ります。
とってもキレイ。。。
今日のお夜食は、
久しぶりの焼き芋とニンジンジュース🥕
おつかれさまでした。
今日もろうそく瞑想できて幸せな週末✨🙏✨
ありがとう😘✨
先日の新宿御苑
↓