Blog「星の光」

(2025年10月5日)

No.219 梵字「観音菩薩」故郷の観音さん(その1)日本三大観音「津観音」

梵字「観音菩薩(サ)」
観音さんとして多くの日本人に親しまれ、観自在菩薩とも呼ばれる仏さまの梵字です。
発音は「サ」
真言は「オン・アロリキヤ・ソワカ」

梵字を初めて書きました。
故郷の観音さんで小さい頃からいつも目にしていた梵字です。
通常の書とはお作法が異なるのだと思いますし、マナー違反になる筆使いかもしれないですが…。

生まれ故郷の津。
津とは「港」という意味で、昔は港町としてお伊勢参り中継点の役目を果たして栄えていたようです。また、その立地だけでなく、日本三大観音の一つ「津観音」があることで、お伊勢参りとかかわってきた歴史もある街です。
日本三大観音とは、浅草「浅草寺」と名古屋「大須観音」と「津観音」です。

津の中心地に静かに佇む「津観音」は、公式サイトによると、西暦709年伊勢阿漕ヶ浦の漁夫の網にかかった聖観音立像(ご本尊)をまつり開山したと言われています。
正式名称を「恵日山(えにちざん)観音寺大宝院」。
もともとは国宝を含む多数の寺宝を有する大きなお寺で、昭和20年(1945年)の戦火によって全焼するまでは、塔頭7ヶ寺を含む41棟の大伽藍を誇る寺院で、歴代天皇の勅願寺(後花園天皇以来)でもあったそうです。

戦後、再建され、今でこそ小さくひっそりとしていて、地域外の方々にはあまり知られていませんが、地元の人々からは「観音さん」と呼ばれて親しまれている街のシンボルでもあります。

津の観音さんが、お伊勢参りと深くかかわってきた背景には「本地垂迹説」という考え方があります。

「本地垂迹説」(ほんじすいじゃくせつ)とは、仏や菩薩を本来の姿である「本地」とし、神々を本来の仏の姿を表した「垂迹」とするもの。仏教が広まりつつある平安時代から中世の神仏習合的な思想を支え、明治時代の神仏分離令により衰退した考え方です。

津観音にはご本尊の「聖観音菩薩」(しょうかんぜおんぼさつ)のほか、「国府 阿弥陀如来」(こうあみだにょらい)がお祀りされています。お御堂には、ご本尊の「聖観音立像」(しょうかんのんりつぞう)があるほか、毎月18日の縁日、正月三が日などのみご開帳される「国府 阿弥陀三尊」(こうあみださんぞん)があります。

本地垂迹説的な考え方によると、「国府 阿弥陀如来」は伊勢神宮の「天照大神」(アマテラスオオカミ)の「本地仏」とされています。それゆえ、昔は伊勢神宮とセットで津観音にもお参りする人々が多かったそうです。このことは、「阿弥陀に詣らねば片参宮」ご利益が半減するとまで言われていたことからもよくわかります。

津観音と伊勢神宮。
このセットは昔の話ですが、このおかげで、津は今も伊勢神宮へのアクセスがとても便利な街です。


ということで、、、
書きたかったのは、先日命日だった母との観音さんの思い出ですが、
長くなるので、今日はこの辺で。
また明日!?続編(その2)に続きます。

今日のおやつ✨
今年初物の柿です。
お皿は、実家を出る時、未練がましく1枚つかんでバッグに詰め込んできた昭和レトロの食器です。

おつかれさまでした。
今日もありがとう😘✨