
梵字「阿弥陀如来」
発音は「キリーク」
真言は「オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン」
阿弥陀如来は無限の光という意味だそうです。
前回紹介した日本三大観音のひとつ、津観音の続編「観音さん」(その2)です。
前回は、本地垂迹説の影響があった津観音と伊勢神宮のかかわりがあった歴史、その時代の思想的背景を紹介しましたが、それはさておき…
私にとっての津観音は、幼稚園の頃の私と母との幸せな思い出、みたらし団子の懐かしい場所です。
私は、未熟児寸前で生まれて身体が弱小だったので、母は私の足腰を鍛えねばと、毎週1回、私を幼稚園まで迎えに来て、幼稚園バスに乗せずに母と二人で徒歩で家まで帰るのを習慣にしてくれました。
幼稚園は家からけっこう遠くて、徒歩で片道1時間半以上の道のり。幼稚園児にとっては大変でしたが、いつも母と”しりとり遊び”をしながら歩きました。
きまって最初は「リンゴ」🍎です。
「リンゴ→ゴリラ→ラッパ→パセリ」
だいたいこのくらいまではいつも同じパターンで、あるとき「パセリ」に次いで私が「リズム」と言うと、母はすごく驚きながら「えぇ〜〜っ!!リズムなんて言葉知っとるん!?偉いなぁ〜すごいなぁ〜ママびっくりしたわぁ〜〜👏👏👏」と言って喜んでくれました。
昨日のことのように思い出します。

幼稚園の時のお絵描き帖にもリンゴがいっぱい。
こんなふうに、しりとり遊びをしながら1時間くらい歩いたところに観音さんがありました。
必ず立ち寄ってひと休み。
当時の観音さん界隈はたいそう賑わっていて、境内には鳩の餌を売る屋台と小さなみたらし団子屋さんがありました。鳩の餌は、新聞紙で作った小さい袋にお豆が1枡、確か5円か10円くらい。これを買ってもらって鳩に餌をあげて、それからみたらし団子屋さんで、母はやじろ、私は普通のみたらし団子、2本づつ。
TVアニメの「マンガ日本昔ばなし」に出てくるような物静かで優しそうなおばあちゃんが、ゆっくりお団子を焼いて秘伝のタレをからめて出してくれました。
写真には写っていませんが、参道の右側にみたらし団子やさんがありました。今は納骨堂が建てられています。
美味しくいただいて、さらに30分あまり歩いてようやく家に着いたのですが、この母との時間が嬉しくて、最初はしんどかった週1回の徒歩帰宅の日が、いつの間にか待ち遠しい日になっていました。
このおかげかどうか!? 小学1年生にあがった年のマラソン大会と50メートル走、男の子たちをゴボウ抜き。体育が一番の得意になりました。
今年の夏、最後の実家の片付けの後に立ち寄った観音さん。
前回のBlogで書きましたが、お伊勢参りと阿弥陀如来のつながり、神仏習合とか分離とか、本地垂迹説とか…
神様仏様には申し訳ないですが、正直なところ、
何ですか、それ!?
って思ったりするし、私のおばあちゃんは「観音さんはマリア様」とか言っていたし…エネルギー的にどうなのかな!?
でも、そんな謂れや解釈や感覚が正しいとか間違っているとかは、どうでもよくて、なんかわからないけどありがたいと思っている何かがあって、母と私の大切な思い出。可愛い鳩がいて、甘くて美味しいお団子も食べられて…
故郷の観音さんはそういう意味でのサンクチュアリでした。
きっと観音さんも、毎週楽しく立ち寄っていく母と子を喜んで見守ってくれていたに違いないと勝手に思うのでした。
ありがたい思い出です✨🙏✨
今日のおやつ
バラの花びらのお茶。
職場でのおやつ、コンビニで見つけたみたらし団子つき✨

職場のデスクでちょこっとみたらし団子
おつかれさまでした
今日もありがとう😘✨