





古代文字「歌」
(落款は、甲骨文字で「吉」。私が彫りました👏)
「歌」という漢字、白川静の『字統』で字源を調べてみると、「「歌」は形声字で、声符は「哥」(か)。「哥」(か)は「可」を重ねた形」とあります。ここまではよいのですが、「「可」は祝禱の成就を神に祈り、呵責してせまるもので、その時発する声を哬といい、歌という。」との説明もあります。
呵責してせまるもの?!?
つまり、厳しく責める、という意味の言葉にドキッとします。
さらに説明を読むと「歌うという行為は、もと祈禱や祝頌のことから発しており、本来呪術的な意味を持つものであった。…(中略)… 歌はもと呪詛・哀告をなすものであったが、のちに歌楽・謳歌の意に用い、楽しむべきものとなった」ということでした。
難解な説明は白川文字学の特徴ですが、呪詛は、いわゆる呪いで、人の反則や裏切りを責める歌謡のことだまを持って、呪能を発揮するのだとか。
何だか、オドロオドロシイ意味に、一瞬背筋が寒くなりましたが、多くの漢字に見られるように、「歌」という文字もその意味や用いられた方が変化しています。どういう経緯があったのかは分かりませんが、「歌」は、凶に関する祈禱の意味が、吉に反転し、良い意味で用いられるようになっていることにほっとします。
人類史のさまざまな物事の歩みは、何に注目しても、明るい方へ向かう方向性を見出せるはずです。
文字の字源や意味、用られ方の変化からも、世界と人々がよりよく明るく変化してきていることが垣間見られます。
さて、字源ではない「歌」のお話を少し…
『古事記』の完成は712年、『日本書紀』の完成は720年。この両方に、スサノオノミコト(素戔嗚尊・須佐之男命)が詠んだとされる歌があります。それが、Blog「No.6 八雲立つ出雲と吉兆の「雲」」で、古代文字の「雲」とともに紹介した「八雲立つ出雲八重垣…」の歌です。
スサノオノミコトがこの歌をいつの時代に読んだのかは不明だそうですが、これが日本最古の歌として知られています。
ということは、スサノオノミコトは日本最初の歌人ですね。
ここでは、No.6では書かなかった、スサノオノミコトと歌と須賀神社とのつながりを中心に紹介します。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠み(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を」
(素戔嗚尊)
この歌の意味は、
「見事な雲のように 妻を住まわせるための垣を幾重にもめぐらせるよ、ああ幾重にもめぐらせるよ」
(堀田季何著『俳句ミーツ短歌』,笠間書院,2023掲載の現代語訳)
スサノオノミコトが、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して櫛名田媛(クシナダヒメ)を守ったお話はよく知られています。
スサノオノミコトは、櫛名田媛との結婚生活のために出雲に宮を作ったのですが、これはそのときの歌、つまり「新婚夫婦のマイホーム記念」の歌。「マイホーム」を作る土地を探して出雲にきたスサノオノミコトが、「この地にやって来て、私の心はすがすがしい」と詠んだ喜びの歌らしいです。そこから、その地が「須賀」となり、いま日本の須賀と名のつく町はスサノオノミコトになんらかのゆかりのある場所だときいたことがあります。
また、全国の須賀と名のつく神社にはスサノオノミコトが祀られています。
いま私が暮らしている街の氏神様も「須賀神社」(四谷総鎮守・須賀神社)といいます。
それほど歴史は古くはありませんが、やはりスサノオノミコトが祀られています。
御本殿には、天保七年に画かれた「三十六歌仙絵」(新宿区指定文化財)が社宝として掲げられています。
三十六歌仙というのは、平安時代中期の公卿藤原公任(ふじわらのきんとう)が選定した過去および同時代の優れた歌人36名のことをいいます。(須賀神社の公式サイトの三十六歌仙の紹介ページ→https://sugajinjya.or.jp/news/36kaen01/)
ご存知のように、スサノオノミコトは天照大神の弟。
大国主命のお父さんです。
亡くなったお母さん(伊奘尊イザナミノミコト)に会いたいと泣いたり、拗ねたり、暴れたり、ヤンチャなキャラとして古事記に描かれている神様。ですが、時には遠く感じるアマテラスとは対照的に、人間味溢れ、愛情豊かなスサノオノミコトが大好き💓
なにか、神性と人性、天と地をつないで、神々の世界を身近に感じさせてくれるような気がします。
そして、そんなスサノオノミコトの愛情溢れる喜びの歌が、日本の最古の歌として伝えられているのはとても素敵なことだと思います。
私も、喜びの歌、たくさん詠んでいきたいです。
四谷須賀神社