Blog「星の光」

(2024年12月30日)

No.24 古代文字「祝詞」 と言霊(ことだま)

甲骨文字「祝」

「示」と「兄」からなる会意字。
「示」は祭卓、「兄」は祝禱の器「口」(さい)を奉ずるもので、祝禱する人をいう。
(『字統』より。)

古代文字「詞」
「司」を声符とする形声字。「司」は、祝禱の器をひらく形。
「詞」は祝詞、神に告げる語。(『字統』より。)
(落款は「龍」。絵みたいですが、龍の象形、図象文字です。私が彫ってます👍)

 

昨日は、古代文字「歌」から、短歌などの「歌」についても思い巡らし、調べたりしているうちに、言葉を「声に出して言う」「口に出す」ことについても書きたくなりました。というのは、今年は「大祓の祝詞」(おおはらいののりと)奏上の素晴らしい動画(※)に出会い、大いに言霊の力をいただいたありがたい年だったからです。

「歌」という古代文字は、声に出して祝禱の成就を神に祈り、歌謡の言霊(ことだま)を持って、呪能を発揮する、といった字源がありました。(cf. Blog No.23)
また、スサノオノミコトが、日本で最初の歌人とされることも、昨日紹介しました。
一般的に、ザックリと、近世までの貴族などの歌を「和歌」、それ以降の歌を「短歌」と呼ぶことも多いですが、スサノオノミコトの日本最初の歌「八雲立つ出雲八重垣…」は三十一文字で、短歌とよばれることもあります。しかし、なぜこの歌が三十一文字なのか、三十一文字(五七五七七)の形式が既に存在していたのかは、わからないそうです。

スサノオノミコトの歌は、712年に完成した『古事記』にも、720年に完成した『日本書紀』にもあります。
現存する日本最古の歌集は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された『万葉集』で、ここには、長歌、短歌、旋頭歌、仏足歌などが収録されています。
しかし、その後、10世紀初めに紀貫之らによって編纂された『古今和歌集』収録の歌のほとんどが短歌になっているように、平安時代になると、短歌以外の形式の歌があまり作られなくなりました。歌といえば多くが短歌形式になったこの時代に、日本の歌は「和歌」「倭歌(やまとうた)」と呼ばれるようになりました。またこの時代に、「和歌」は大和言葉を用いるということが一つのルールにもなっていったようです。

わからないことも多い「歌」ですが、わかっていることは、昔の「歌」は「声に出して読む」ことを前提に詠まれていたこと。
堀田季何氏によれば、現代の短歌はおおむね黙読されることを前提に作られているのに対し、古くは儀式や宴会などで節をつけて歌うように声に出してよんでいたと考えられています。
また、「一説によれば、素戔嗚尊などの神たちを歌詠みとして継いだのは王たちで、彼らが天と地の媒介者となり、歌によって神の言葉を伝声」したそうだと述べられています。(堀田季何著『俳句ミーツ短歌』,笠間書院,2023 より)

こんな「歌」の背景にもふれたところで、字源に垣間見られる祝禱の祭儀における言霊(ことだま)の力とは、どんなものをいうのでしょう。
言霊について、神社本庁の公式サイトでは、次のように説明しています。

古くから信じられる言葉の力
日本は古くから「言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国」とも称されるように、言霊に対する信仰が見られます。
言葉には霊力が宿り、口に出して述べることによりこの霊力が発揮されると考えられています。
例えば、忌み嫌われる言葉を話すと良くないことが起こり、逆に祝福の言葉を話すと状況が好転するという考え方があります。
婚礼などの祝儀の際に忌み言葉を使わないよう注意を払うのも、こうした考えによることなのです。
祝詞には、こうした言霊に対する信仰が根底にあるため、一字一句に荘厳かつ美しい言い回しを用いて、間違えないよう、慎重に奏上されます。

神社本庁公式サイトより
https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/norito/#section01

言葉そのものが持つ力と、声に出して歌うということ、これらが合わさった時、目に見えないものの力が喚起されるのですね。
私は、文字と書き言葉にも関心がありますが、二次元の紙面の上に目に見える形で記された文字というのもまた、そこから三次元、四次元に広がる目に見えない力を惹起し、言霊と同じように私たちをより良く導いてくれるのではないかと感じています。

漢字は、世界の文字の中でも特別なもので、意味と形と音を持っているということは、このサイトでも既に伝えていますが、それが、吉祥、瑞祥などのシンボル、図象文字、護符のように今もなお暮らしの中で大きな力を持ち続けている要因の一つだろうと思います。

冒頭でも書きましたが、今年は、言霊の力「大祓の祝詞」(おおはらいののりと)の素晴らしい動画(※)に出会い、大いに言霊の力をいただいたありがたい年でした。
「高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て 八百萬神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて…」から始まる有名なお祓いの祝詞。毎日聴いてとても癒されました。
(※ 会員制 サイト STARSEED Y’s universeの「動画」コンテンツ,  https://ysuniverse.jp/ アクセス制限あり)

以下は、神社本庁の公式サイトに掲載されている「祝詞」についての説明です。
神さまへの祈りのことば」として、以下のような説明が分かりやすいので、こちらもそのまま引用させていただきました。

祝詞 神さまへの祈りのことば
「祝詞とは、祭典に奉仕する神職が神さまに奏上する言葉のことです。
その内容は、神饌(しんせん)・幣帛(へいはく)などを供え、御神徳に対する感謝や称辞(たたえごと)を奏し、新たな恩頼(みたまのふゆ)を祈願するというものが一般的な形です。

その起源は古事記や日本書紀に記される「天岩屋戸」という神話の中にも見ることができます。
この神話には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)がお隠れになられた天の岩屋の前で、天児屋命(あめのこやねのみこと)が立派な祝詞である「布詔戸言(ふとのりとごと)」という祝詞を奏上したことが記されています。
また、「延喜式(えんぎしき)」という律令の施行細則を纏めた法典には、現存する最古のものとして「朝廷の祭儀に関わる二十七編の祝詞」が収録されており、現在でも重視されています。」

神社本庁公式サイトより https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/norito/#section01

そういえば、私が「大祓の祝詞」を初めて手にしたのは、十数年前、母校で人間学系科目の非常勤講師を務めることになった時のことでした。
哲学に位置付けられている科目ですが、人間を心と身体のみでなく、霊魂も有する存在という前提で捉えた講義を行うことが要件でした。

当時、私は文理融合の分野で環境学の学位とりたて。あちこちの大学で非常勤を掛け持ちしていました。
哲学専攻ではなかったのですが、人間が生きる環境を云々するということは、結局は、人間理解に他なりませんので、声をかけていただいたようでした。
そして、声をかけてくださった先生が、ご自身の講義資料を参考にとくださったのですが、その中に「大祓の祝詞」がありました。
その先生は、丁寧に「大祓の祝詞」の意味を解き、キリスト教中心の西洋文化における罪概念と神道をはじめとする日本文化のそれとの違いなどを解きながら、人間と超越的な存在とそのかかわりについて考える講義をなさっていました。
とても興味深く、しばらくの間は私も自身の講義に活用させていただいていました。
結局、これがきっかけとなって、その後、母校に勤務することになりました。
私の新しい仕事を、目に見えない次元につなげてくれた言霊の力⁉︎に感謝。