





昨夜の地震は被害がなくてほっとしました。
地震で、新海誠の「すずめの戸締り」を思い出したら、大切な2つの雀の記憶が鮮明に甦っています。
ピーポくんの回と同じくらい、古代文字には役に立ちそうにないことですが。
古代文字「雀」
象形文字のように思えますが『字統』によると、「小」を声符とする形声字。
字源の説明も少なく不明なことも多い文字かと思われますが、やっぱりスズメっぽいです。
私が幼少期の実家は、古くてガタピシの日本家屋でしたが、部屋の縁側でぐるりと囲まれた素敵な中庭がありました。
外の通りに面した部分がなかったおかげで、用心深い野鳥たちもたくさん遊びに来てくれて、中庭はサンクチュアリでした。
中庭には、大きな真っ直ぐ背の高い1本の薪の木があって、時折、木の中ほどのところで鳩や雀が巣を作って子育てしていました。鳩も雀も、人の背丈よりも高く、でも、カラスが降りてこないあたりにひっそり巣作りします。
ある日の昼下がり、巣から落ちたのか!? 子雀が一羽、薪の木の一番低い枝にとまって、心細そうにピィピィ鳴いていました。
いつも縁側に面した部屋の窓を開け放して組紐を編んでいた母が、そのうち親雀が迎えにくるだろうからと言って、母と兄と三人でしばらく見守っていました。
しかし、いつまで経っても親雀がやってくる様子はなく、心配した母が、ご飯粒を2、3粒、指でつぶして子雀が食べられるようにと枝にくっつけました。が、子雀は全くついばみもせず、少しも動かず、相変わらず鳴き続けています。
どうしようもなく、母は再び組紐を編み始め、兄は縁側でプラモデルを組立て始め、私も縁側で遊び始めました。母も兄も一言も何も話さず、それぞれ自分の手元に視線を落としているのに、全身で子雀に集中し続けているようでした。
そのまま1日が暮れ始めた時、突然バタバタッと羽ばたく音がしたかと思ったら、大きな雀とさっきまで鳴き続けていた子雀が元気にそろって中庭を越え、屋根を越えて飛んで行きました。
それから、母も兄も私も堰を切ったように、子雀のことを話し始めました。
たったこれだけのことでしたが、人生の中で繰り返し思い出す、何とも言えないハッピーエンドの思い出です。
「ちゃぶ台にはじける言葉と身振り手振り 雀の親子の今日一日」
(Hoshi no Hikari)
それから、何年も経って上京した時のこと。
その頃は、明治から大正、昭和初期の文豪たちの小説をよく読んでいて、上京して最初の桜桃忌に三鷹の禅林寺まで行きました。三鷹の禅林寺には、森鴎外や太宰治らの墓があります。
桜桃忌とは、毎年6月19日、太宰治の忌日に禅林寺で開かれる集まりで、太宰の弟子で、やはり青森津軽出身の小説家・小野才八郎氏が「雀こ 井伏鱒二へ。津軽の言葉で。」という太宰文学初期の作品を、津軽弁そのままに朗読するのが恒例でした。
初めて聴いた小野氏の「すずめー、すずめー」と「…ずおん」という独特の津軽弁の朗読が衝撃的でした。
「雀こ」は「はないちもんめ」を比喩的に短編の中で使った小説。
私の子供の頃の雀の思い出とは背景も情緒的にも大きく異なるものです。
ですが、朗読の「雀こ」という津軽の言葉とともに、うちの中庭の雀親子が元気に羽ばたいていった幸せの風景を鮮明に思い出し、同時に、太宰治のスピリットも目の前で羽ばたくように躍動しているように感じた不思議な体験でした。
その後、太宰の墓前に手を合わせて桜桃忌はお開きになりました。
それ以来、何か憑き物が落ちたように!?太宰治をはじめとする昔の文豪たちの小説への愛着(偏愛!?)も希薄になり、桜桃忌参加もその1度きりになりました。
災害も事故もなく、穏やかな日々が続きますように🙏
写真は、売布神社(めふじんじゃ・島根県松江市)の鳥居のところ。なぜか、スズメたち。2024年9月撮影
売布神社は、祓戸大神(四柱)の中の速秋津姫命(はやあきつひめのかみ)を主祭神とする古い神社です。
下の写真は、氏神様の近所のマンションの木。
雀たちの集合住宅?!
下の写真は、わかりにくいですが、よく見ると、十数羽の雀がとまってます。
何羽いるかクイズにしようと思ったけど、回答がわからないので出題できず…