Blog「星の光」

(2025年1月20日)

No.44 古代文字「聴」

毎日綴っているBlog、一応コンセプトがあって、昔空に輝いた星の光が今を静かに照らすように、古代文字や古代人に思いを馳せることで、ささやかな光を今に…という思いを込めています。
自己満足とはいえ、自分が書く言葉が誰か何かの価値になるようにとの思いはいつも意識しているのです。

ですが、昨日もチラと書きましたが、このBlogを毎日読んでくれてる人がいるとは思えないのに、
不思議なことに私がカタカタとキーを叩きはじめると、目に見えない存在!?が、そのカタカタ打ち出す言葉に耳を傾けてくれているような…そんな気がする時があります。

目に見えない存在というか、私を見守ってくれている眼差しのような不思議な気!?というのか、何か、優しいエネルギーです。
今日1日におつかれさまと直接言ってくれる代わりに、ただ聴いてくれているような感じ。
そして、私が言葉にしたくてもできないこと、あえて言葉にしないこと、言葉にならない言葉も全部聴いてくれているように思えて不思議です。

「見えないところで全部聴いてくれてるような存在!?」、それを「妄想」というのか「幻想」というのかどうかはわかりませんが、妄想でも幻想でも、そういうものに向かって書くことを初めて体験してみたら、想像以上に癒されます。
何か役に立てるようにと書き始めたのに、書くことが自分のための時間になっていますが、いつも聴いてくれてありがとうと言いながら、今日もサクサク、キーを叩いています。

子供の頃住んでた家の中庭が、外の世界と隔絶されたサンクチュアリみたいな場所だったように、
世界中誰でもがアクセス可能なネットに漂うサイトの片隅、外界とは別パラレルみたいなオタクなBlogは、今の私のサンクチュアリのようです。

というわけで、今日は「聴く」を書いてみます。

甲骨文字「聴」

さまざまな形の古代文字の「聴」がありますが、この字形は甲骨文字。
耳の象形に、「口」(さい)という祝詞をおさめる祭儀用の聖器の象りを2つ添えた形です。
これで、神意を聴く意味を示しているのだそうです。

古代の「聴」という文字は、神の次元でした。
なんか、ハッとします。一気に視点と思考がメタ(高次元)に急上昇。
ノスタルジックな自己満足!?に浸っていないで、サッサと身体鍛えて、やるべきことを淡々とやっていこうと思いました。

それでも、今日も頑張ったので、1日おつかれさまでした。
目に見えない存在にも、ありがとう、おつかれさまでした。

ついでに、余計なことですが、この作品、左回りに90度回してみると、
ワンちゃんがニッコリ笑ってるみたいで可愛いです。

職場の近くの土手から。
鳥のようなお魚のような、今日の夕方の雲も可愛いです。