





古代文字「馬」
「馬」の古代文字もさまざまな形があります。甲骨文字もありますが、この字形は金文です。
一目瞭然、馬の象りです。
昔、10年間勤めていた会社が、九段下の近くにありました。
九段下から神田神保町、神保町から水道橋あるいはお茶の水方面。
この周辺一帯がとても面白いエリアで、史跡や神社仏閣などのほか、珍しい専門店、例えば刷毛(はけ・ブラシ)屋さん、金物屋さん、すごろく屋さん、紙屋さんもありました。書道具屋さんや画材屋さんも何軒もあります。
特に九段下から靖国通り沿いに延々と続く神保町の本屋街には、大きな書店の本店が立ち並び、古本屋さんも数多く、1日ではとても回りきれないほどです。
OL !? 時代も今と同じように完全フレックスで働いていましたので、10年間毎日、本屋街を歩きました。
インターネットが今ほど普及していなかった時代、日々の新刊や山積みベストセラーの変化は、そのまま世の中の移ろいを投影しているような、社会史を見ているような、そんなところが面白かったです。
自分にはまるで合わない職種の企業での、なんとも辛い10年間でしたが、本屋街の面白さが働く日々を助けてくれました。
また前置きが長くなりましたが、
先日、特に用事もなかったのですが、九段下に行きたくなって、珍しくお散歩コースを靖国神社折り返しにしてみました。
家から徒歩で片道25分くらい。
ちょっとしたお散歩には、ちょうど良い距離感です。
久しぶりの靖国神社参拝。
靖国神社はまだお正月の雰囲気で、南門から正参道への通りには、写真のように全国の令和7年巳年の絵馬が飾られていました。
靖国神社恒例の絵馬展、「令和7年全国神社奉納絵馬展」です。
私の故郷、三重県は、「猿田彦神社」「椿大神社」「二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)」「三重縣護国神社」「多度大社(たどたいしゃ)」「敢國神社(あえくにじんじゃ)」「結城神社」「北畠神社」の八社が絵馬を出展していました。
故郷の懐かしい神社の絵馬を見たら、なんだか胸が温かくなって、じわ〜っと涙が出てきました。
それにしても、ちょっとびっくりです。
今まで、絵馬にピンときたことがなかったのですが、全国のさまざまな神社の絵馬を同時に拝見すると、一つ一つ全く異なる個性豊かなエネルギー!?を放っているような気がしました。同じ三重県内の神社でも、それぞれの個性があたかも人格のように感じられ、何か懐かしい人々に久しぶりに会ったかのようで、とても嬉しかったです。
絵馬ってとてもありがたいものなのですね。
この年になって初めて絵馬に親しみがわきました。
そこで、神社本庁の公式サイト(https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/ema/)で、絵馬について調べてみました。
「絵馬は人々の祈りの形を現したものと言うことができます。」
と、極めてシンプルな説明でした。
絵馬は通常、絵のない裏側にお願いごとを記して、神社に設けられている絵馬をかけるところに奉納します。
その後、御祈願祭などそれぞれの神社の特別の日にご祈祷の後、お焚き上げいただきます。
神社本庁によると、絵馬を奉納する習慣は、もともと神々に本物の馬を献上していたことに由来するのだそうです。
その由来のもとになっていることとして、
「『常陸国風土記』、『続日本紀』(しょくにほんぎ)などに、祈雨(きう)、止雨(しう)、そのほかの祈願のために生きた馬を献上していたことが見られ、当時から神々の乗り物として馬が奉献されていたことが分かります。
特に、献上された馬のことは神馬(しんめ)と呼ばれます。
と書かれていました。
さらに、時代とともに、本物の馬ではなく、代用としての「馬像」や、さらに簡略化された「絵馬」が奉納されるようになりました。
そして、神々の乗り物として、馬から神輿が主に用いられるように変化し、神馬(しんめ)はお供するだけとなっていったそうです。
馬は、古来から人々の生活に深い繋がりをもち、輸送や農耕、軍用など、あらゆる面で大きな役割を果たしてきました。
このことは馬に対する信仰とも結びついていきます。
例えば、平安時代に宮中で行われた白馬節会(あおうまのせちえ)です。
これは正月7日に天皇が白馬を御覧になるという行事ですが、陰陽五行説において白馬は聖なる「陽」の動物のため、これを見ればその年の邪気を祓うことができると考えられたのです。その後、この行事は各神社においても除災招福の神事として行われるようになりました。
ということです。
子供の頃、初詣をはじめいろいろな機会に伊勢神宮に詣でましたが、神宮には真っ白な馬がいてタイミングによってはその馬を見ることができます。
両親も周囲の参拝客らも、馬を見られると縁起が良いとたいそう喜んでいたものですが、このような意味があったのですね。
こんな変遷をたどった絵馬、もともとは馬の絵が描かれていました。
それが、人々の祈願の内容も次第に変化し、馬の絵だけではなく、祭礼の模様や干支、病気平癒や芸能上達の祈願が絵に表されるようになりました。
そして、この絵馬展の多彩さが示すように、今では、さまざまな図柄や模様、形も多様な絵馬が見られるようになりました。
どんなものにも意味があって、ほんの少し絵馬のこと調べてみただけですが、とても面白かったです。
オタク気質なせいか、いちいち古いものの意味に関心を向けていろいろ調べてしまいます。そして、その意味が素晴らしいものであろうとなかろうと、人々が生きたプロセスで折り重なるように変遷してきた意味は、一瞬一瞬の時間をより味わい深いものにしてくれると感じて嬉しいです。
子供の頃は、ネットなんてありませんでしたから、少しの調べ物でも図書館に行ったりして、時間も交通費やその他の費用も大変でした。
社会人になって、本屋街を歩き回れる環境がたいそう嬉しかったですが、今では、精度を問わないザックリという程度の情報なら、本屋街に足を運ぶよりネットで無料でいくらでも知りたいことを調べられます。
ネット情報を鵜呑みにはできませんが、然るべきところが組織の社会的責任をふまえて発信しているサイト情報なら、とても豊かなものが増えてきて本当にありがたい時代です。
ところで、靖国神社はご存知のように、明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦歿した軍人らを祀る神社です。
この写真、御本殿の屋根の部分ですが、
頂上に、平和の象徴、鳩が1羽、その下に3羽とまっています。
第二次世界大戦から80年。
多くの人々が日本のためにと命を捧げられたわけですが、その後1世紀も経たずに日本がこんな風景のこんな社会になると一体誰が想像できたでしょう。
今では、世の中が豊かになるようにガンバレ🎌って、空から後押ししてくれているような気がします。
歴史については、いろいろな考え方やスタンスがあります。私には、難しいことはわかりませんが、今の社会につながる一時代を担った人々にただ感謝…という気持ちで参拝し、今の私たちが幸せに生きることが、過去への感謝を形にする方法だと改めて思いました。
そして、靖国での絵馬展を通じて、思いがけず故郷のたくさんの神社にも参拝させてもらえたようなありがたい時間を過ごしました。
帰り道、日本武道館のお堀をしばらく眺めていたら、思わず故郷の神さまたちにたくさん言葉がわいてきました。
故郷の神さま
おかげさまで、一日一日、メンタル病まずに!?ちゃんと働いて生活できてます。
今日、こんなところで、こんなふうに佇む時間が私の人生に訪れることを、神さまたちは知っておられたのでしょうか…
子供の頃、想像だにしなかった、ありがたくてかけがえのない日々の中に生かされています。
東京に送り出してくれたのは、そして、この日ここまで歩いてくるようにと、導いてくださっていたのは神さまたちだったのでしょうか。
この世は生きるに値すると思える今しあわせです。
遅ればせながら、故郷ではお世話になりました。
故郷のたくさんの神さまありがとう。
日本武道館のお堀