Blog「星の光」

(2025年1月26日)

No.49 古代文字「鳥」と絵馬の意味(続編)

今日は、久しぶりに本屋さんで楽しく過ごしました。
職場には図書館があるので本には事欠きませんし、いつでも調べものもできます。そして調べ物ならネットでも。ですが、本屋さんの楽しさはまた格別です。

縁起物についての雑誌(『神秘のちから 縁起物 NHKテキスト趣味どきっ!2024年12月-2025年1月号』)をパラパラみていたら、先日のBlogでもテーマにした「絵馬」についての面白い記事を見つけました。

先日のBlog No.45では、神社本庁のサイトを引用しつつ、神馬(献上すべき馬)の代用としての絵馬、という一般的な説明を紹介しました。
ですが、NHKテキストに寄稿していた島村恭則先生によれば、一般的な見方だけでは絵馬を捉えきれず、絵馬とは「普通の言葉では届かないかもしれない心の中の願いを神に伝えるもの」だったのではないかということで、柳田國男の民俗学の主張を紹介しておられます。
庶民の歴史は、記録として残されることが少なかったため、柳田の主張を実証することは難しいものの一考に値するというのです。

なるほどなと、民俗学的な見方にすごく共感しました。
まずは一般的な見方は必要ですが、やはり、それだけではない既存のさまざまな研究領域でそれぞれ固有の見方があったりするのでしょう。
さらに少し違った見方、例えば神と人とのかかわりという角度から絵馬を見たら、また思いがけないことが出てくるのではないかと思いますし、日本の伝統的なこと文化的なことを調べ始めたら、キリがなくなりそうで興味深いです。

庶民が絵馬に託したであろう「普通の言葉では届かないかもしれない心の中の願い」
なんだか素敵で、なんだか切ない…

私は、素人芸ですが時々短歌を詠みます。
言葉にできないこと、伝えたいけど伝えられないこと…そんな心の中の想いの居場所を与えるような感覚で、三十一文字をつなぎます。
三十一文字で伝えられることはごくわずかでも、長文よりも一層気持ちを伝える力を持つと感じる時もあります。
こんなふうに自分のことを振り返ってみると、絵馬が神馬の代わり以上の役割を担ったのは当然のことかもしれないと思うのでした。

甲骨文字「鳥」、
象形文字で、鳥の全形。
『字統』によれば、甲骨文字でも金文でも「鳥を象形的にしるすものは多く神聖鳥」ということです。

「絵馬」じゃなくて「字鳥」!!  象形文字だから「絵鳥」って言えるでしょうか。
古代の鳥は、神の遣いの鳥ですが、空高く羽ばたいて「言葉にできない心の中の願い」も天に伝えてくれますように🙏

甲骨文字「鳥」

迎賓館の売店の屋根の上には「鳳凰」のような鳥。
鳳は神の遣いの鳥とされていますが、古代文字「鳳」の初文形は「鳥」の古代文字と同じです。