





古代文字では、さまざまな字形がある「虹」ですが、『字統』によれば、「虹」は、古くは天界に住む竜形の獣と考えられていました。その雄を「虹」、雌を「霓(げい)」といったそうです。
「虹」は、天界から地上に降って、河水を飲む2頭の龍の両頭を象った象形文字。
古代文字「虹」
今でこそ、空にかかる「虹」は願いが叶う吉兆のしるし。
美しい「虹」を見れば、多くの人が明るい気持ちになるものです。
しかし、中国の古い歴史書では、「虹」は「陰陽和せず錯乱すること」を意味したり、“虹を指さすと指が歪む”などとあるそうです。日本にも、そのような虹にまつわる禁忌が伝えられているのだとか。
一方、雲出る国、八雲立つ縁結びの出雲では、結婚式の曇り空は祝福のしるし。
雲にかかる「虹」も吉兆です。
出雲大社・二の鳥居(勢溜の大鳥居)前で(2024年9月撮影)
古代の文字にまつわる意味を、字源からたどっていくと、「虹」という文字のように、現在とは異なる思いがけない意味に出会うことがしばしばあります。
正反対の意味が見つかる場合も珍しくありません。
ですから、「虹」のオリジナルな意味が吉兆か不吉なものかはわかりません。
文字は生きていて、人の歩みを垣間見せてくれたり、文字と人とのダイナミックなかかわりを伝えてくれたりします。
人がいかに意味を見出し、意味付けするか、いかに意味を選ぶか…。
文字にどんな新たな意味が芽生えてくるかもわかりませんが、「虹」という気象現象に、良い意味を見い出し続けて、いつしか「虹」が吉兆となった出雲の文化、風土がとても素敵です。
「虹」形に、天界から降る霊獣 龍を見て、文字に象った古代人。
目に見えない世界を垣間見させてくれる霊獣は、どんな言葉を携えて降ってくるのでしょうか。
非物質世界に対する昔の人々の憧憬や謙虚さ、畏敬の念が、「虹」の多様な意味に表れているような気もします。
不思議なことに、私はいつも肉親がなくなるまえや、人生の大きな良い節目、転期が訪れる前には必ず虹を見ます。
肉親の死は、それ自体喜ばしいこととは思えませんが、人が地上の人生を終えて宙!?に還って行くことも、天界の大きな眼差しの中では慶祝に値することなのかもしれないと、年月を経るたび思います。
天界を垣間見させてくれる霊獣 龍のおかげで、もの思う時間軸も空間軸も永く広くなるのかもしれません。
八雲立つ出雲と歌った素戔嗚尊が大好きな私には、「虹」は吉兆。
それぞれの“ジブン史”の中で「虹」が吉兆となりますように。
明るい意味を日々見出していきたいものです🌈
これも古代文字「虹」、ツクリの“だ”の部分が龍の象りです。
母が亡くなる前に見たダブルレインボー