Blog「星の光」

(2025年1月31日)

No.55 古代文字「豆」 節分の豆まき「福は内!福は内!」(令和7年は2月2日)

古代文字「豆」
『説文解字』(後漢代の最古の字書)収録の字形を書いてみました。『字統』には5種類の「豆」の古代文字が掲載されていて、その中で一番可愛くて図象文字にも見えるので書いてみました。ですが、甲骨文字の「豆」は、足の高い器の象形文字で、農産物のお豆の象形ではなく、儀礼の時に、この器に実際に数十粒の豆を盛ったりする用例があるらしいです。

「節分」は、季節の暦でいうと「雑節」(ざっせつ)の一つ。
毎年、旧暦で1年の最初の日とされる「立春」の前日が「節分」とされています。
今年、2025年・令和7年の立春は2月3日ですから、今年の節分は2月2日

古代、豆は主食の米と並んで神が宿る大切なものとされていました。
この豆をまくようになった由来は、昔、鞍馬山の奥の僧正谷というところに住んでいた鬼神が都に入って荒らそうとしたので、三石三斗(斗は10升)の豆を煎って、鬼の目をつぶして災厄を逃れたという言い伝えです。
鬼に豆を逃げつけたことで鬼退治できたことから「魔目」という漢字が当てられることもあるそうです。

この豆まきが立春の前日に行われるようになったのは、平安時代に、季節の変わり目にやって来るとされる鬼を祓う「追儺(ついな)」という儀式がその由来だそうで、節分の日には各地の神社で、炒った大豆をまいて邪気や厄を祓う儀式が行われます。
節分でまく豆は、その前日の夜(今年は2月1日の晩)に神棚にお供えすることで「福豆」となったお豆をまいたり、神社で福豆を分けていただいてきたりします。

下の写真は、明治神宮の「福豆」と、和菓子屋さんの豆菓子についていた小さなお面です。
お面と、お菓子の袋に載っていた節分のお話が読みたくて豆菓子買ってしまいました。

『日本のしきたりがまるごとわかる本 令和7年版』(2024年12月晋遊舎発行)には、家庭での一般的な豆まきについても書かれています。
「豆をまくのは年男か厄年の男性、もしくは一家の主で、鬼が入って来ないように「鬼は外」と唱えながら外に向かってまき、服が入って来るように「福は内」と唱えながら家の内側にまくのが一般的。終わったら招いた服を逃さないように戸や窓を閉め、まいた豆を年齢、あるいは数え年の数だけ食べる」。
これは、子供の頃の我が家で毎年やっていた豆まきそのまんまでした。

子供の頃暮らした街には「観音さん」と呼ばれて親しまれていたお寺が町の中心にあり、節分の日の日中、境内で行われる豆まきで福豆をいただいてきて、家で炒った豆に混ぜました。
母がお嫁入りの時に持ってきた、一升桝(一升が入るマス)にたっぷり入れた豆をまくのは父の役目。
父の後にピッタリくっついて「福は内」と言いながら、家中を歩いて回ります。最後に私もたくさんの豆を握って、父とともに「鬼は外」と大きな声で唱えるのですが、この時、鬼が入って来ないようにすぐに扉を閉められるように母は玄関でスタンバイ。
父と兄と私とで、玄関の外に向かって鬼に豆を投げつけて、見えない鬼に一撃💢した瞬間、母がバタッ!!とすごい勢いで扉を閉めるまでのドキドキ緊張感は今もリアルに蘇ってきます。

父も母も、子供のために年中行事をやっていたという様子ではなく、真剣に豆まきやってました。
鬼も福の神も確かにそこに見えるかのようなリアリティ。

親元を離れてから、だんだん年中行事をやらなくなって、今ではほとんど何もしなくなりました。
丁寧にやろうとするとヘトヘトになる年中行事ですが、準備が大変ということよりも、これをやらないと良くないとか、これをやるから運が良くなるとか、そういうことに過剰に意識が向くことで、心が不自由になってヘトヘト…

今では心が、そんなナンセンスな状態から解放されてほっとしていますが、何か気持ちを新たにしたいときなど、節目を意識するのもまた時には良いものだと感じますし、ほんの少し生活にメリハリが出るささやかなひと時になるような気もします。
意味に振り回されず、意図的、自覚的に必要な意味だけにコミットしていたいと思います。

というわけで、今年は、お豆だけは食べてみようかなと思って氏神様で福豆授けていただきました。
素敵な枡が欲しくなって、明治神宮でも氏神様の須賀神社でも福豆を買ってしまいました。
それぞれ、一合枡です。(1合が入る大きさの枡)
お豆、たくさん食べなくちゃ✨

「疑心暗鬼」というように、鬼は、いると思えばいる。
豆を投げようと思った時に鬼がそこに現れてしまう…。
『泣いた赤鬼』(小学校の教科書にも掲載されたことがある浜田廣介作の児童文学)のお話に出てくる青鬼さんみたいに心優しい鬼もいる。
だから、やっぱり豆まきはしないことにしよう。
「福は内!」「福は内!」

須賀神社の福豆