





古代文字「猿」
「袁」(えん)を声符とする形声字。なぜこのような字形かの説明は載っていなかったので、まだ不明なことも多いのでしょう。調べる前は、もっと可愛いお猿さんの顔みたいな字形を想像していました。古字・図象文字を探したらそのような字形も出てくるのかもしれませんが、白川先生の辞書にはこの字形一文字のみが掲載されています。
でも、自分でいうのはなんですが、作品とっても気に入ってます。巳年なのにお猿さんの話がたくさん登場していますが、猿田彦大神も大好きな神様です。
あっという間の2泊3日。
昨日は、実家の片付けサボって、伊勢神宮といくつかの別宮、そして猿田彦神社にもお参りしてきました。
内宮外宮はもちろん、久しぶりの「月読宮」(つくよみのみや)、「倭姫宮」(やまとひめのみや)では、なんとも言えない深い心の静けさを体験しました。
今日は、そもそもの帰省の目的のひとつ、実家の売却に向けて地元の情報収集✨そして短い時間でしたが10年ぶりくらの「二見興玉神社」(ふたみおきたまじんじゃ)にもお参りして東京に戻ってきました。
二見興玉神社には「天の岩屋」もあって、とてもありがたいひとときでした。
書きたいことはいろいろありますが、伊勢の猿田彦神社のこと先に書いておきたいと思います。
というのは、この古代文字の「猿」、猿田彦神社に参拝できると思ったら嬉しくて、帰省の前の晩に書いていたからです。そして、今回の帰省で、いつもは訪れないところや予定外のところにも足を運んで、思いがけず猿田彦大神さまと出会い直しをしたような機会になったからです。
また、出会い直しと言えば、スサノオノミコトとも!
やはり伊勢は神話の世界でした。
伊勢のあちこちにスサノオノミコトがあふれていました。
猿田彦大神もスサノオノミコトも、地元の人々からはそれぞれ別のお名前で愛されていたのでピンときていませんでしたが。
子供の頃から既にたくさん出会っていた二柱の神様たちと、東京でもしっかりつながっていたことに、今ごろ気づいたちょっと鈍い私です。この2泊3日で訪れた神社など、少しづつBlog記事にしたいと思いますが、まずは猿田彦神社のことを最初に少しだけ紹介してみます。
古代文字の「猿」は、猿田彦大神様にいつも道を開いてくださってありがとう💓の気持ちを込めて、猿田彦大神様へのお土産でした💓🐵💓ウフフ✨
神様、私の文字、喜んでくれたでしょうか…。
⛩️お猿さんといえば、🙈🙊🙉ですが、心願、こそっとお側でお話ししました✨どうか私の願いを聴いて、成就の道を開いてくださいますように🙏
猿田彦神社公式サイト(https://www.sarutahikojinja.or.jp/)によれば
猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も良い方へ“おみちびき”になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土に啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。
天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受売命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられました。
ここから、道ひらきの神さまとして多くの人々の信奉を集めています。
猿田彦神社御本殿
「たから石」七福神の宝船に見えるということで、たから石と言われています。
「さざれ石」君が代のもとになった和歌に登場する細石。
江戸時代の国学者で、伊勢国(松坂)出身の本居宣長(もとおりのりなが)の歌碑
「大御神宮に詣でて玉串大内人定津ぬしの家にやどりてあるじによみてまいらす 宣長 神世より神の御末とつたへ来て名くはし宇治乃土公わが勢」
(…神代から 大神の末えとして 絶えることなく続く 名高き宇治土公家 私の大切な友よ)
神社配布の「御由緒略記」より
猿田彦神社にはアメノウズメのミコトをお祀りした境内社「さるめ神社」がありましたが、昨年11月に社殿のお建替えで、現在は猿田彦神社の本殿に仮神殿があります。
参考
公式サイトの他、神社で配布している『みちひらき』(第121号・令和7年1月1日発行)