Blog「星の光」

(2025年2月12日)

No.65 古代文字「暦」月読みと暦のお話

金文「暦」

会意字。旧字は「厤」(れき)と「日」(えつ)とからなる文字。「厤」は軍門、「日」は祝詞を収める器で、軍門においてその功歴を旌表(せいひょう・人の善行を称えて広く世に示すこと)することを暦という。字形は、軍門の象理である「禾」(か)の形。金文の「暦」は、軍門においてその功歴を神に告げて旌表することを意味する文字。
『字統』には、のちに文字を日に従うものと誤って、暦日の意味に転義されて用いるようになったと説かれています。

(金文とは、青銅器に鋳込まれた紀元前1000年くらいの文字で、甲骨文や石鼓文とともに古代文字の一つ。一般的に漢字のルーツとされるのは甲骨文字ですが、甲骨文字ののちに金文、という時系列で捉えられないのではないか…年代的にも同じくらいではないか…という研究者らもいます。今後の古代文字研究の成果が楽しみですが、いずれにせよ、甲骨文字をルーツとする漢字の系譜が一つの体系を成しているということや、漢字の構造とその体系を示した白川先生のご研究はやはり燦然と輝いていて、どの文字が古いかという説とは別次元の意味があると思われます。)

昨日は伊勢神宮内宮の域外別宮「月讀宮」と、そこでお祀りされている月讀尊(つきよみのみこと)のこと紹介しました。

Blogお伊勢参り編!?
早速次の別宮に進みたいところですが、暦の神さま月読尊(つきよみのみこと)のことを紹介したタイミングで、興味深い「暦」のこと書いておきたいと思います。

月讀尊といえば、これまでは天照大神の弟神さまで、スサノオノミコトの兄神さまということを意識するくらいでしたが、月讀尊は暦の神様や占いの神様といわれます。伊勢神宮の公式サイトの「「月讀宮」は「月を読む」と記すとおり、月の満ち欠けを教え、暦を司る神であることを意味している」という一文、とりわけ「月を読む」というのはとても美しくて心を捉える表現でした。

既に、二十四節気・七十二候・雑節…など季節の「暦」については、断片的にお話ししましたが、日々の季節の移ろいだけでなく、月の満ち欠けや星など天体の運行を読むことは、占いと密接な繋がりがあります。
そして、占いといえば古代の占卜用の文字…と、個人的に関心あることがその根っこでつながっています。

神宮では毎年「神宮暦」が発行されていて、伊勢神宮の公式サイトでその暦の説明があることは、昨日紹介しました。すでに引用した前半部分をもう一度👉「暦は私たちが日常生活を送る上でなくてはならない存在です。古くより自然から豊かな恵みをいただくためには、日時や季節の移り変わりを正確に知り、農業や漁業の好機を捉えることが必要とされ、暦は大切にされてきました。」

「神宮暦」は、季節の暦である二十四節気、雑節などのほか、365日の日の吉凶を表す「六曜」、干支、月齢、旧暦、月の出月の入と満潮干潮の時刻が掲載されて、毎月「今月の農作業(稲作)」と「農作業のポイント」あるいは「農事の視点」の欄が設けられています。

そもそも「暦」ってどんなものだったのでしょう。

暦のことをサイトで調べるとき、最近は「国立国会図書館」の公式サイトの「日本の暦」を活用させてもらっています。このサイト、超絶✨素晴らしいのです。
さすが!国立国会図書館という感じ。所蔵している史料がすごい✨
このサイトを見るたび、ネットなど科学技術の進歩発展がいかに人類を進歩させてくれていることかと感動します。これだけの貴重な史料を体系立てて順次提示しつつ、暦についての知識を無料でカンタンに吸収できるようにしてくれるなんて、ありがたすぎて、嬉しすぎて泣けてきます。
ですので、このBlog読むより、そのサイトご覧になった方がずっと面白いだろうとは思いつつ、サイト情報は非常にボリュームも大きいので、ここではサイトをもとにして、今日は日本の暦の歴史についてのザックリした触りの知識のみ簡単に紹介してみます。

暦は中国から朝鮮半島を通じて日本に伝わりました。
日本最古の歴史書「日本書紀」の欽明天皇14年(553)6月の条に、大和朝廷が百済から「暦博士」を招き、「暦本」を入手しようとした記事があり、これが、日本の記録の中で最初に現れた暦の記事だそうです。

国立国会図書館サイトの「日本の暦」https://kanjiart.jp/wp-admin/post.php?post=2814&action=edit でも、次のように、暦、天文、占いそれぞれの分野が密接に繋がっていたことがわかります。

暦は朝廷が制定し、大化の改新(645)で定められた律令制では、中務省(なかつかさしょう)に属する陰陽寮(おんみょうりょう)がその任務にあたっていました。陰陽寮は暦の作成、天文、占いなどをつかさどる役所であり、暦と占いは分かちがたい関係にありました。平安時代からは、暦は賀茂氏が、天文は陰陽師として名高い安倍晴明(あべのせいめい 921-1005)を祖先とする安倍氏が専門家として受け継いでいくことになります。

さらに「日本の暦」によると、当時の暦は、1ヶ月を天体の月(太陰)が満ち欠けする周期に合わせた「太陰太陽暦(たいいんたいようれき)」または「太陰暦」「陰暦」と呼ばれる暦でした。

太陰とは天体の月のことで、「太陰太陽暦」は1ヶ月を天体の月が満ち欠けする周期に合わせます。
天体の月が地球をまわる周期は約29.5日であるため、30日と29日の長さの月を作って調節し、30日の月を「大の月」、29日の月を「小の月」と呼んでいました。
一方で、地球が太陽のまわりをまわる周期は約365.24日で、季節はそれによって移り変わります。大小の月の繰り返しでは、しだいに暦と季節が合わなくなってくるため、2~3年に1度は閏月(うるうづき)を設けて13ヶ月ある年を作り、季節と暦を調節しました。大小の月の並び方も毎年替わったため、明治時代(M6年、1873年)に「太陽暦」に改められるまでの間、「太陰太陽暦」の暦を作るのはとても重要な役割を担っていました。

陰陽寮が定める暦は「具注暦(ぐちゅうれき)」と呼ばれ、季節や年中行事、また毎日の吉凶などを示すさまざまな言葉が、すべて漢字で記入されていました。「具注暦」は、奈良時代から江戸時代まで使われましたが、かな文字の普及によって、「具注暦」を簡略化し、かな文字で書いた「仮名暦(かなごよみ)」が登場します。鎌倉時代末期からは手書きでなく印刷された暦も現れ、暦はより広く普及しました。
江戸時代に入り天文学の知識が高まるとともに、暦と日蝕や月蝕などの天の動きが合わないことが問題となって、貞享2年(1685)、初めて日本人による暦法が作られ、暦が改められました(貞享の改暦)。その後も改暦され、全部で4回の改暦が行われました。

明治維新(1868)による明治政府は、西洋の制度を導入して近代化を進めました。その中で、暦についても欧米との統一をはかり、明治5年(1872)11月、「太陽暦」(グレゴリオ暦)への改暦を発表。これによって明治6年(1873)から、太陰太陽暦に替わり現在使われている太陽暦が採用されたということです。

ちなみに「神宮暦」は、
伊勢神宮公式サイトから昨日のBlogにも引用しましたが、

御師(おんし)の配った伊勢暦の伝統を受け継ぎ、明治16年より迷信的記述を排除し、科学的情報のみを記述した我が国唯一の「正暦」として全国に頒布されました。暦の作成や販売が自由になった今日も、その心を受け継ぎ、科学的で実用的な暦として奉製され、神宮大麻とともに配られています。

この説明にある「御師」というのは、特定の社寺に所属して、参拝者のために案内や世話をする神職のこと。

現代のカレンダー✨推し💓暦✨


白川静漢字暦(2023年版ですが…)

STARSEED Calendar(2025年リメイク版)

2025年2月10日(月)の夜空。
ジムの帰り道、家の近所のプラタナスの木のところまで来て、ふと空を見上げると頭上にもうすぐ満月になりそうなお月さま。
お月見するわけでもない夜道で、空を見上げることは少ないですが、実はこんな幻想的な世界に包まれて夜道を急いで歩いていたのですね。
星が少ししか見えない都心の夜空ですが、こんなに美しいのかと思いました。
見上げていたら、心が静寂に包まれました。

月讀尊のおかげかも !?

2025年2月11日(火)の夜空。
今日も、帰り道に夜空を見上げてみました。昨夜よりちょこっと太ったお月さま。
今日は、伊勢神宮では「神宮建国記念祭」。
明日は満月です。

 

情報源
国立国会図書館公式サイト「日本の暦」
https://kanjiart.jp/wp-admin/post.php?post=2814&action=edit

伊勢神宮公式サイト
https://www.isejingu.or.jp/about/jingutaima/