Blog「星の光」

(2025年2月16日)

No.69 古代文字「風」と「風宮」(かぜのみや)伊勢神宮別宮(外宮域内)

甲骨文字「風」

形声字。声符は「凡」(はん)。卜文の(=甲骨文字の)風の字形は、鳳形の鳥の形で、その右上に声符として凡の字を加えていることがある。
風の字が、鳥の形、それも鳳の形でしるされているのは、風はその神鳥の羽ばたきによって起こると考えられていたからであろう。『字統』より。

『字統』には、このほか、「風」の字源に関する諸説、用例が豊かに掲載されていて、他の文字に比べてずっと多くのスペースが費やされています。
「風」の字源だけで豊かな学術論文ができるだろうと思われるくらい。いずれにしても自然現象の「風」は、自然神としても重要な神々でした。
卜辞(甲骨文字が刻まれた亀甲あるいは獣骨のこと)に見られる四方の方神とその使者たる風神の名が、八風の名(東南を晴明風、南方を景風、西南を涼風…など)の起原。方神は日月を司るものであり、風神はその使者として神意を伝達するのであったということです。

「・・・・(大部分の説明を割愛)・・・・このような鳥形風神が、いまの風の字形に移行した時期は明らかではないが、秦の会稽(かいけい)刻石には小篆と同じ字形(今の風に近い)が用いられている。風を、天上の竜形の神が起こすものと解したのであろう。卜文においても、雲や虹などは、みな竜形の神とされていた。風の用義は甚だ多く、字書には二十数義を列するが、風がもと方神の使役する鳥形の使者であること、方神の意を受けて、これをその地域に宣示し風行させるものであること、これによってその地域の風土性が特性づけられ、その土俗が規定され、風光、風物、風味が生まれ、その地に住む人の性情にも深く作用して、風格・風骨を形成するとされたのであろう。それが歌詠に発するものは風、すなわち民謡である。風の字の持つ多様な訓義は、このような古代風神の観念から、概ねこれを解することができる。風邪のごときも、この神によってもたらされる神聖病であった。風は自然と人間の生活との媒介者であり、その生活の様式を規定するもので、そのような営みを風化といい、流風という。」と結んでいます。
この文章は、「風」の説明の最後の部分です。

『字統』ではこの説明の前に、丁寧に用例が見出せる書物の名前も紹介しながらいろいろな説を示しているのですが、それが難解で、その書物がいつの時代にどういう背景で書かれたかなどについての知識も、その説明で使われている語を一つ一つ理解するだけの知識も、残念ながら私にはない…。それでも、最後の部分はなんとか理解できるということで、その部分を抜き書きさせていただきました。

白川先生の場合の字源に関する諸説は、すべて実際に現存する史料と、史料の文脈についての豊富な知識をもとに考察されているので、一つ一つに奥行きがあって、文字と文字が連なって言葉になっていったり、言葉と概念の相互のやり取りなども垣間見られて、文字のダイナミックな面がとても面白いです。

古代文字の字源については、推測の域を出ないという批判もあり、エビデンス、主張の根拠という点では確かにその通りだと思います。
また、白川先生の推測の誤りを指摘している文章を見かけることも結構あって、それも確かにそういうこともあるだろうと思います。
ただ、史料の歴史的文脈を読み解くための豊かな知識という点で、白川先生の『字統』は一番安心して読めます。たとえそこに誤りがあり、新たな文字解釈が取って代わるとしても、漢字の体系と構造、根幹を見せてくれたという点でもまた『字統』はやはり信頼できる字書だと思います。

今日は、「風」のおかげで文字のお勉強してしまいました。ふぅー😙

さて、やっと本題、
⛩️Blogお伊勢参り、伊勢神宮別宮編もうちょっとつづきます。
写真は全部自分でスマホで撮ったものですが、たくさん撮ってるわけではないので、今回だけでなく昨年撮影のものも時々混ざります。

今日は、外宮の3つの域内別宮の最後、「風宮」(かぜのみや)です。
「風宮」は、内宮の域内別宮「風日祈宮」(かざひのみのみや)のご祭神と同様で、「神風」を吹かせた風雨の神を「級長津彦命」(しなつひこのみこと)「級長戸辺命」(しなとべのみこと)祀る別宮です。

「風宮」は、御池にかかる亀石を渡り、多賀宮へ上る石段の左側に鎮座します。
神宮の公式サイトによると、「雨風は農作物に大きな影響を与えますので、神宮では古より正宮に準じて丁重にお祀りしています」ということです。
元々は小さいお社だったところ、元寇(1274年と81年の蒙古襲来)時に暴風雨が起こってことなきを得た神風の出来事を経て別宮になっています。このお話は『増鏡』(ますかがみ)に詳しく書かれているらしいです。

元来、風宮は風雨の災害なく稲を中心とする農作物が順調に成育するように祈りが捧げられるお社でありましたが、元冦以来国難に際しては神明のご加護によって国家の平安が守られるという信仰が加わります。

神宮公式サイトには、「級長津彦命」(しなつひこのみこと)、「級長戸辺命」(しなとべのみこと)についてあまり詳しく書かれていません。
そこで、國學院大学の古典文化学事業の公式サイトの「神名データベース」を調べたところ、「伊耶那岐・伊耶那美二神の神生みによって、木の神・山の神・野の神と共に生まれた風の神」とされていて、諸説の一つに次のように説明があります。

『日本書紀』一書六では、伊弉諾尊の吹き払った息が風神、級長戸辺(しなとべ)命となり、その別名を級長津彦(しなつひこ)命としている。「級長津彦」の方はヒコとあるので、『古事記』と同じく男神であるが、「級長戸辺」のベは女性を意味する語と解されるので、女神と考えられる。

と、「級長津彦命」(しなつひこのみこと)、「級長戸辺命」(しなとべのみこと)は女神というのは意外でした。


写真の左上のところが亀石のあるところで、木の柵の向こうは御池です。
手前の石は「三ツ石」この前で御装束神宝や奉仕員を祓い清める式年遷宮の川原大祓が行われるそうです。
正宮に向かう参道の途中にあります。
神宮のサイトには、この三ツ石のところで「近年、手をかざす方がいますが、祭典に用いる場所なのでご遠慮ください」と書かれています。


2025年2月4日撮影

「風宮」の神明造の社殿
(これだけ2024年8月撮影の写真です)

ちなみに、「級長津彦命」(しなつひこのみこと)と「級長戸辺命」(しなとべのみこと)について参照させてもらった國學院大学の古典文化学事業の公式サイトの「神名データベース」、とにかく素晴らしいのです✨
國學院大学では、かつて、文部科学省私立大学研究ブランディング事業に採択されて「「古事記学」の推進拠点形成世界と次世代に語り継ぐ『古事記』の先端的研究・教育・発信」として、古事記学センターを開設していました。
文科省事業としての古事記学センターの活動は令和2年度に事業期間満了で終了し、現在では、後継事業として研究開発推進センターにおいて「古典文化学」の事業が展開されているようです。

昔なら、ごく一部の専門家しか触れることができなかった知識が共有できるすばらしいサイトです。
古典文化学事業と世の中のすごい進歩に感謝🙏

風を感じる写真探してみました
伊勢二見浦の「禊の浜」
海風、浜風…「風」が吹いて「濱」が「禊の浜」となるのでしょうか

情報源
國學院大学の古典文化学事業の公式サイト
https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/shinatsuhikonokami/

伊勢神宮公式サイト
https://www.isejingu.or.jp/