Blog「星の光」

(2025年2月23日)

No.76 古代文字「国」 三重縣護国神社と靖国神社

古代文字「国」

会意字。旧字は國で、口(い)と或(わく)とからなる文字。或は口と戈ととに従い、武装した城邑を示し、國の初文。或にさらに外囲をl加えたものが國で、国都をいう。(『字統』より)
いくつかの文字が収録されていますが、こちらは金文。

今日はBlog.お伊勢参り番外編、「三重縣護国神社」と九段の「靖国神社」です。

先日の帰省でまだ紹介していない神社が一つ残っていました。
地元三重県の総守護の神社「三重縣護国神社」です。

「三重縣護国神社」のご祭神は「護國の大神」(ごこくのおおかみ)。
護國の大神とは、九段の「靖国神社」にお祀りされているご英霊の中でも三重県にゆかりのあるご英霊6万300余柱の総称です。津駅前にあり列車の中からも見えていてます。


三重縣護国神社


今年の立春、故郷の空

護国神社の公式サイトには、その由来が次のように書かれています。

幕末開国以来、日本は近代国家となるために幾度かの国事国難を経ることとなります。
祖国の繁栄を願いながら、平和の礎となられた御英霊をご祭神として祀るのが靖國神社・護國神社であり、中でも三重県にゆかりのある六万三百余柱を祀るのが三重縣護國神社です。

実は私の津の家、ここからけっこう近いです。
「港」を意味する「津」。
三重の津は、昔は薩摩の坊津、筑前の博多津ともに「日本三津」とよばれていた港町です。
「津」という地名になる前は、「伊勢国の港町」を意味する「安濃津」という地名でした。
母の実家は「伊勢奥津」(いせおきつ)という松坂の近くの山間部にあります。

小さい町ですが、「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」という言葉があって、昔は、津に港があるおかげで、伊勢神宮への参拝客が多く、津の港は伊勢神宮があるおかげで栄えていると言われていました。
私のうちは港のすぐ近く。
賑わっていたのは大昔の話だそうで、伊勢志摩行きの船も出ていませんが、今でも、伊勢神宮へのアクセスはとても便利で、港から神宮直通バスが出ていたり、電車でも30分。
子供の頃、お伊勢参り専用道路もできて、お伊勢さんの鳥居近くにつながった時は父がたいそう喜んで、しょっちゅう家族で神宮まで車で参拝に行きました。
父はもうこの世にはいませんので、時効ということで、当時は法定速度を超えてぶっ飛ばして20分。

こんな土地柄でしたので、私の家もご近所さんも含めて、地元の多くの人々が、足繁く伊勢神宮に参拝していて、振り返ってみると、近くの護国神社に参拝した思い出はわずかでした。

先月末、九段の靖国神社に参拝した時、全国絵馬展として各県の神社の絵馬が飾られていました。
三重県からもいくつかの神社が出展していて、その中に猿田彦神社や二見興玉神社、椿大社などとともに護国神社の絵馬もありました。三重県の護国神社は、英霊を招魂してお祀りしている神社で、直接的に靖国神社とつながる神社ではありませんが、同じ英霊をお祀りしているわけで…。
見えないところで、たくさん見守ってもらっていたんだなと思いながら、九段の靖国神社でふるさとの護国神社の絵馬を懐かしいようなありがたい気持ちで眺めていました。

その時の印象が心に残っていたこともあり、先日の帰省の時に久しぶり護国神社に参拝し、感謝を伝えてこれました。

少し時間が経って、今こうしてBlogに書いてみると、古事記や日本書紀の世界、イザナギノミコト・イザナミノミコトの「国生み」につらなる神話の世界も、現実の戦いで国のために魂を差し出した戦時中の世界も、今は昔、もう選びようもないパラレル。

ちょうど立春。
祓玉」を「祓石」にぶつけてお祓いもさせていただきました。

護国神社の「祓石」(はらえいし)
中が空洞になっている丸い素焼きの玉の穴に息を吹きかけて厄を移し、その玉を「祓石」にぶつけて割ってお祓いします。

そんなわけで、
「三重縣護国神社」を紹介するタイミングが今日✨ということで、同じ英霊をお祀りする「靖国神社」にも参拝しなくちゃ!!と九段にも行ってきました。

正直なところは、やっぱり九段下行きたくなってしまったので、良い理由が見つかって良かったな〜〜😆というところ。とてもグッドタイミングな今日でした👏


2025年2月22日の靖国神社

九段下の「昭和館」のオープンスペースで開催中の石川光陽写真展「第1期・昭和の幕開け・モダン東京」というのを観てきました。
下の写真は、そこでいただいたリーフレット。
1世紀近く昔の東京の日常を写したモノクロですが、当時の人々の近代化への喜びが色鮮やかにキラキラ伝わってきました。

たった100年ですが、今の生活から見れば、何世紀も昔の1シーンのように感じられるほどすさまじい進歩発展を遂げた日本。
やっぱり、世の中こんなにも素晴らしくなっているのですね。
進展のスピードが加速度的に爆進していくことを思うと、10年後の写真展で、今の生活を振り返ったら100年前に見えるのかもしれません。

戦時中の日本と今の日本も、歴史というより不連続な同時並行的な異なる世界の1シーンをクロニクルに並べただけのように見えてきました。
10年後、20年後…の、ドラえもんだって驚くようなすごい時代、もしかしたら、もうすでにパラレル世界で展開されていて、たまたまそれを私たち社会全体が選べるのが10年先とか20年先というだけなのかもしれないと思いました。
始まりと終わりは同時…!?
よくわからないけど、今の常識的なまなざしの中にいる、平和の礎を築いてこの世を去った全ての人々に、あらためて感謝。

今日のおやつは、
圧力鍋で蒸かしたサツマイモと黒豆のお菓子✨
サツマイモ、戦時中を生きた人々にはごちそうじゃないけど、美味しいですから、
今日も頑張っている神さまがたと守護神に、おつかれさまのおやつ✨

お抹茶点てたいところですが、遅い時間に飲むと睡眠に響くので、温かい麦茶です。
蒸かしたサツマイモは、バターちょっとつけると美味しいっ👍
おつかれさまでした💓

 

情報源
三重縣護国神社公式サイト
https://www.miegokoku.org/